寒いけど
最近、日がだんだん長くなってきましたね。
少し春に近づいたって感じ。
最近まで見てみないふりをしてきたけれど
自分は人生は虚しいと思っているんだなぁと
「技法以前」というケア関連の本を読んでいて気付いた。
以下、本文から引用
幻聴と被害妄想は、「空虚さ」というわたしのこころの隙間を埋め尽くし、「生きていることの虚しさ」という現実からわたしを避難させるという役割を果たしていたといえるのではないか。
この文章を読んで、自分のことと呼応した気がした。
私が、過去に、カウンセラーの人に
あなたは不安が強いと言われたことがある。
原因とかそういうことではなく、不安が強いのだ、と。
そうはいっても、やっぱり不安なのでそれをぬぐいさりたくて
自分では原因をさぐろうとする。
でも、さぐってもさぐっても、やっぱり不安になる時は
ものすごく不安に取り付かれるのだ。
私は不安に依存しているんだろうな、
となんとなく思ってはいたけれど
何で依存しているのかはわからなかった。
今まで自分の人生を虚しいと感じているなんて、
認めたくなかった。
けれど、この言葉がなぜか今回は
すうっと入ってきて、そのとおりだと思った。
この本の中で統合失調症の人が
自分を傷つけるような行為をしていて
それをこの本の著者のソーシャルワーカーの人に
相談するのだけれど、この著者の人は
その行為をしているのは、
今の自分を一瞬でも楽にするためであって
あなたが自分を一番助けようとしているのだというようなことを
こたえていた。
これには、私自身目からウロコだった。
私にとっては、不安に取り付かれてしまうことは
自分を助けることだったんだなと思った。
自分が一番自分を助けている。
この発想は、自分のことをどうも好きになれない自分にとって
灯台の光のように感じた。
自分が一番感じるのが怖かった人生の虚しさも
ほんのちょっとだけど、不思議と
そこにいてもいいよ、という気持ちになった。
実家(祖父や父)の私への否定っぷりに
自分のことも否定してしまいそうになる。
自分が他人に否定されることは、自分で自分を否定することとは
イコールではないはず…だけど
今までそれに気付かずに生きて来た期間が長いので
気を抜くとつい自分の存在を否定されることと
自分を否定することがイコールになってしまう。
恐怖にのまれそうになる。
昨日、今日にかけて家の中を大掃除した。
コンロのところがかなり汚れていたのだけれど
全然やる気がでなかった。
いつも完璧にやろうとしてしまい
やりだすとかなり根を詰めるので
考えただけで嫌になって腰が重かった。
旦那にそうやって言ったら
完璧にやろうとすると疲れるから
簡単にさっと拭くくらいにして
そういう軽い感じで気がついた時に掃除を
やっていった方がいっぺんに片付けようとするより
結局きれいになるんでないの?
といわれ、
まぁそうだな…と思って
完璧にはやらないぞ!と決めて
重い腰をあげた。
まぁ案の定根を詰めている自分だったのだけれど
きれいになったのでやっぱり
そうじはいいなぁと思った。
コンロの下のマットとコンロカバーを変えたら
掃除した感がさらに倍増して
今まで引越の時にしかカバー類を変えなかった自分は
損をしていた様な気がした。
そして、今までもらった手紙とかを整理しようと
手紙箱を開けた。
中学の時にもらった手紙まで取ってあったので
いい加減処分していかないと…と思って
幼なじみとか中学の同級生に
当時もらった手紙を読み返した。
私は当時、結構仲が良かったと思っていたけれど
連絡を取らなくなっていった友だちが
何人かいて、その人達からもらった手紙を読んでいたら
なんだか自分が恥ずかしくなった。
連絡を取らなくなった友だちで、今でも夢に出てくる
友だちがいるのだけれど、その人の手紙を読んでいて
この人は私より、うんと大人だったんだなぁと思った。
その手紙の内容は当時の自分とはどうしようもなく
すれ違っていたのだけれど
今読むと、そうだったんだ…と時間差で
書いてある内容に共感したりして
その人のことが好きなのに
よりを戻せない恋人みたいな気持ちになった。
縁のはなれた友だちは今どこかで
自分の生活を生きているんだろうなぁと
思いを馳せた。
お笑いの動画をみていたら
宮迫さんと三村さんの二人旅という企画があった。
二人の関係性がなんとなくギクシャクしているので
打ち解けてもらおうという趣旨の企画。
二人はまぁ別にしゃべるけれど
個人的に二人で会うとか
そういうことはなく
まぁ要は合わないんだよな〜ということを
ドライブしながら話していて
へぇ、と思った。
確かにやり取りが打ち解けていないというか
二人の雰囲気がかみあわず、
不思議な感じだなと思ってみていた。
二人とも面白くて、番組ではそれぞれ持ち味を
発揮しているのに、二人合わさると
普段魅力的に映る部分が何か違った感じになっていて
興味深いなぁと思った。
雨あがりだってさまぁ〜ずだってコンビ内では
二人ともかなり性格が違うんだけど
一緒にいて違和感はない。
コンビで性格や、きっと価値観もけっこう違うんだろうけど
空気感が自然というか。
まぁ何年も一緒にやってきてるからというのも
あるかもしれないけれど。
今回この企画の二人をみていて、合わないっていうのは
二人の方向性が違うからなのかな、と思った。
宮迫さんは基本的に真面目で努力して技術を高めようとする感じ。
三村さんは自然で素直な面白さ。
人間関係のポイントみたいなものを自分の嗅覚ではかって
そこを押さえておいて、あとは自由にしている感じ。
考えてみると、雨あがりはホトちゃんもなんか
真面目で地道な感じがするし、
さまぁ〜ずは大竹さんも隙があるというか
常識から考えてこうでしょ?みたいな感じがしない。
自分の物差しではかっている様な感じがする。
性格やいろんな価値観が違っても
一番根本にあるところが似ているから
きっとコンビとして続けていけるのだろうなぁと
思った。
個人的におもしろい企画でした。
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最近、アダルトチャイルドに関する本を読んでいる。
その本は具体的なワークが載っているので
良いなと思っている。
それで、具体的に自分の今までの思考パターンを
違うものと置き換えるという作業の項目があったので
今日はそれを少しやってみた。
今までの自分の思考パターンの一つとして
「父母が私のことを重要視しない」
というのが浮かび上がってきた。
私は、このことに傷つき、人間関係を作るにあたって
トラウマになっていたということに気付いた。
この言葉の周辺をぐるぐる回っていて
ようやく核心のところに来たような気がした。
私の実家はとにかく祖父がワンマンで
その台風に巻き込まれないように
息を止めて生活するような雰囲気のうちだった。
私はそれが凄く嫌で、我慢してはキレて、我慢してはキレて
の繰り返しだった。
祖父に対してキレていたので、祖父も私に逆上し、
その時の家庭内の雰囲気はトゲトゲしていた。
他の家族メンバー(祖父以外)も何度かキレているが
考えてみると、他の家族メンバーがキレていたのは
私に対してだけだったと思う。
(祖父に対しては大事になるのでキレず、
不満をたまにぶつけざるを得なかった私に
言いやすいので矛先が向いたのだと思う)
私の父母は、とにかく家庭に波風をおこしたくない
ということを最も重要なこととして考えていることのように感じた。
私は、自分の家がとても居心地が悪いので
つい不満が爆発してしまう。
父母はそんな私の話をなかったことのように流した。
今もなお同じように話を流される。
(妹に関してはそうではない)
波風を本当に立てたくなかったのだな。
だから私を無視したのだな。
それを考えて、ハタ、と気付いた。
私と父母の価値観が全然違う、かも。
そこが軋轢を生んでいたのかも…。
父母の思う「いいこと」と
私の思う「いいこと」が違うんだ。
私は自分の思う「いいこと」を家で貫こうとして
失敗したのだなぁ。
私は自分の思うことが絶対正しいと思っていた。
こんな緊張する家で楽しいわけがない!
みんなもそう思っているはず…と思っていた。
そして、それを表現することは正しいことだと思っていた。
でも、違ったんだなぁ。
それより、波風を立てずに暮らしていくことの方が
両親にとっては大切だったのだ。
それが両親を尊重してないということなのか。
過去にカウンセラーの先生に言われたことを
思い出した。
でも、それは両親の考えに合わせて自分を殺すということでは
きっと、ない。
自分のここちよさ、真実があるように、
両親にも、両親なりのここちよさ、真実があるのだ。
両親を尊重、できたら、はじめてみたい。
失敗したり、やっぱり両親を許せなかったら
また考えよう…。
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静かに妊娠し、静かに流れてしまったようです。
昨日は出てきた胎嚢をお墓に埋めて
お線香をあげてきました。
妊娠がわかった時はうれしかった。
胎嚢が見えて、出血してても
少しでも大きくなっているって
聞いた時は何かうれしかった。
胎嚢が出てきた時は悲しかった。
でも、その時の衝撃はずっと覚えている訳ではなく
ご飯を食べたりしている時とか
何かしている時は忘れていたりする。
だけど普通にしていると
何の前触れもなしに涙が出てくる。
何で泣いているのかな?と考えたけど
よくわからなかった。
正直言って、妊娠したってわかった時も
何でうれしいのかわからなかった。
でも、それが命というものなのかもしれない。
9月28日くらいに妊娠検査薬を試したら
陽性が出た。
まぁびっくり!
妊娠したとわかっていても
今まで普段と変わらない生活を続けていたら
ここ何日かうっすーく出血が…。
ネットで調べてみる。
流産の兆候とか書いてあったり…。
正直、凄くびびってしまった。
すごくゆっくり歩いて病院へ。
まぁこれくらいなら大丈夫とは思うけど
出血している間はなるべく
無駄な動きはしない様に。
ウィンドーショッピングとかやめてね!
と先生に言われてしまった…。
見てる?私の日常…。
で、ここ何日かゆーっくりゆっくり
動いています。
ゆっくり歩いていたり
椅子に座りながら家事とか時間をかけてやっていると
なんか障害者の人の気持ちってこんなかな?とわかる様な…。
私は普段以外とせっかちで
ゆっくり何かをしたことがわりと無かったんだな
ということに気付いた。
この直前のブログで書いた
「認められない弱さ」の内容の中の
自分の芯について考えていたら
山田ズーニーさんのこんな文章を見つけた。
ヒントというか、
もう一つの答えが書かれているなと思った。
「本心に気付くことは何故自信につながるのか」
本心に気付くこと
この言葉を見た時に、なにかこう腑に落ちた。
考えてみると
私は自分の気持ちがわからなくて
ずっと東奔西走してきたなと思った。
私は本心から無意識に
目をそらしていることが多いようで、
自分の気持ちがわからないことが多々ある。
多分本心を悪いイメージに
仕立て上げているからなのだろうな。
でも、そのねじれを解いて、自分の本心に気付きたいから
きっと私は今まで、文章にまとめてきたのだな
と感じた。
あと、(以下引用)
そして考えるまでもなく、これからすべきこと、
つまり、
身辺に一大事が起こったとき、
卑屈にならず、依存もせず、
でも自分は強いという幻想にもとらわれず、
外に対して「ちゃんと話す」、
ということが見えてきた。(以上引用)
というところは、
私もそんな風になれたらいいなと
思って読んだ。
精神医学の本を読んでいて
心気障害というのが出てきた。
それを読んで、あー、私はこれだな、と思った。
手がしびれたりすると脳梗塞なのか?とか
すぐ思うのだ。
そこにすごい囚われてしまう。
(ちなみに何回か調べてもらったが異常はなかった)
夜も不安でなかなか寝付けなかったりする。
結構いつもそうだ。
不安とともに生きればいいとか
不安も受け入れなくてはみたいなことを
前、ここにも書いた気がするけれど
そうはいってもやはり
なかなか私は受け入れられないのだ。
何が不安なのだろう?と考えた時に
ふと、私は弱いって思われたくないのではないか?
と思った。
強くなければいかん!って
ずっと、ずーっと思ってきた。
意識的にじゃない、無意識にだ。
自分の実家で私は馬鹿にされる
恰好の標的だったので、それに負けたくなかった。
学生時代も部活でよくそのことを考えていた。
社会人になってからも標的にしてくる人が
少なからずいたので、
強く見せることを目標に頑張ってきた。
でも、疲れてしまった。
今は外で働いていない。
でも、やっぱり強くなくては!
という緊張感が私の心を占拠している。
強くなかったら、また訳も分からず傷つけられて
やられてしまうと感じている。
強く見せようとするのは、弱いからだ。
弱さを見せてもぶれない芯が
私には足りないのではないか、と思う。
欲しい。
どうやって手に入れるのか
わからないけれども。
ここ何日か、風が涼しくなった。
秋のにおいがしてきたかな?
今日は待望のガラスの仮面の単行本新刊が発売になったので
新刊と別冊花とゆめ(新刊の続きが読めるので)を
買いにいった。
朝5時頃コンビニに単行本の新刊の方は買いにいき
コンビニに売ってない、別冊…の方は
朝10時過ぎ、本屋の開店後すぐ買いにいった。
いくら夜更かししていても、ガラスの仮面のためなら
起きられるんだなぁ〜と思ったけど、
ちょっと無理していた。
そこまでしなくても、落ち着いて夕方くらいに
2冊を買いにいってもよかったんじゃ?と正直思っていたので
ちょっとその辺年齢を感じる…。
かつてはホントに無鉄砲な感じだったので。
ちょっとさみしいかな。
暑かったり、雨が降ったり
そんな不安定な気候の最近ですね。
7月は通信の学校の集中授業があったり
レポート提出に追われて
なかなか忙しかったです。
私はそのうち仕事、というか社会に
復帰できるのか?と不安になりつつある
今日この頃です。
今日は友達と上野の国立西洋美術館に
ルーブル美術館展を見に行った…のだけど。
平日なのに入館するのに80分待ち!
ディズニーランドか!ここは!
甘く見ていた…。
最終日が次の日曜だからなのかもしれないのだけれど。
平日なのでそんなめちゃ混みな可能性は全く考えず
美術館でトイレに行こうと思っていた私は
1時間半トイレを我慢するハメになってしまった…。
中にも入場制限しつつ入れていたのだが
ものすごく人が多くて
じっくり絵は見られませんでした…。
疲れ果てましたが、
それでも複製じゃない、本当の絵というのは
それだけで存在感があるというか
印刷したものとは全然違うなぁ、と思った。
3、400年前の絵なのに何か生々しく感じた。
抑えた生々しさ…という感じがした。
4月に仕事を辞めて無職&(主婦)生活をしつつ
はや2か月経とうとしている。
昔から思ってたけど、
どうも自分は夜型だ。
夜型になってしまう。
早起きしたいんだけど、起きるとどうしても
昼近くか昼…。
行動を始める時間も遅いし
いつも夜遅くになって後悔する。
早い時間に起きた方が多分良いのだと思うんだけど。
早起きモードに戻そうとして
早く目覚ましをかけても頭がふらふらして
どうしても起きれない。
早起きを取り戻そう作戦は今日も失敗に終わった。
う〜ん…。
少しづつ起きる時間を早めていくしかないか…?
最近ウォーキングをする為に出向いている公園に
チューリップ畑があって
色別に咲いていて
私を和ませてくれる。
何日か歩いていて、最初は、赤、黄色の順番で
チューリップ畑があって、
普通にちょうどきれいな時期なんだな、とか
思っていた。
3日目に赤いチューリップの花壇の前に
まだ何色か分からない蕾ばっかりある
チューリップ畑があることに気がついた。
チューリップであろう形はしているのだけれど
全部真緑の状態だった。
色が無いので今まで目にとまらなかったのだった。
今日。
いつものように公園に入って
花壇にさしかかると、
真緑だった花壇のチューリップの蕾が
結構一斉にピンク色になって来ていた。
びっくりした。
昨日まで真緑だったじゃないか。
私は知らなかったけれど
水面下で着々と奴らは成長していたのだ。
こんな風に表面化する時は
結構突然なのかもな、と思った。
突然に見えることでも
結構中では着々と動いているんだ。
きれいな色になるであろうチューリップの
色づきに、ちょっと心動かされた今日でした。
会社を辞めてから、毎日ウォーキングしてます。
初日は張り切って2時間歩いたら
運動不足の身にはさすがに堪えたので
1時間くらいで帰って来れるコースを見つけ
歩くことにした。
ただ歩くだけなんだけど
歩くだけなのに結構色んなことが
すこしづつ変わっている様な気がする。
まず、ここ最近自分の身体面に
全く自信がなかった。
ちょっと走ったりするのも不安で
私はこのまま倒れてしまうのではないか…
と日々がストレスになっていた。
でも、歩き始めてから
自分の中に、体力面でほのかな自信が
芽生えているのが分かった。
日々の生活で歩き回って、不安を覚えそうになっても
「でも、私は毎日歩いているから大丈夫だ」
と思えるようになった。
ずっと、なにかしら運動したいと思っていた。
ウォーキングを始めてから
今までたらふく食べていたお菓子をあんまり食べなくなった。
旦那にこの話をしたら
食べるところで解消していたストレスが
ウォーキングで解消されているんじゃないの?
と言われた。
なるほど…と思ったけど
なんとなくピンと来なかった。
ストレス解消とは、もっと趣味とか
楽しいことでするものではないのか…?
と日頃、結構無趣味な私は思っていたのだ。
遊ぶ=ストレス解消
という公式が心のどこかで根付いていた。
運動とかはどちらかと言うと
私にとっては身体を鍛えるというイメージで
決して楽しいとは思っていなかったので
ストレス解消しているのだ
という考えは私を驚かせた。
運動をして、野菜をしっかり食べて、
自分のしたい勉強をして…というのは
私の中では決して
趣味的に楽しい感じではないイメージだったけど
心がそう欲していることを
自分が叶えてあげることは
ストレス解消に繋がるのだ、と感じて
目から鱗が落ちたようだった。
特にカラオケとか行ったりしなくても
自分のエネルギーを自分の欲求にそって
うまく生活の中で昇華させていくのもまた
ストレス解消なのだ、と思った。
自分の中では新たな発見だった。
ひとまず会社を辞めたので、
かねてから念願だったパーマをかけた。
いや、ずっとパーマヘアだったんだけど
派手にかけられなかったのだ。
上から下までぐりぐりパーマをかけた。
美容院で出来上がった頭を見て、
美容院終わった後の店のショーウインドウに
写った自分の頭を見たら
なんか、こう
しっくりきた。
最近、自分の外見のことをよく考えていたのだけれども
この髪型は私の顔になんだか合っている気がした。
最近、自分の顔はなんかこう
「渋い」顔だと思っていた。
中年男性の渋くてステキ!とか
そういう「渋い」ニュアンスとはまた違うんだけど。
渋みのある顔というのか。
えぐみのある顔、というのか。
パーマをかけたことで
売れない自称芸術家という感じになった。
見るからに風変わりな感じ、というか…。
でも、それが自分を表している様な気がして
妙に堂々と立っていられる様な気持ちになった。
昔、同じ会社だった先輩が
30過ぎたら自分がどう見られているかとか
自分の外見には責任を持たないと
と言っていたのを思い出した。
今まで私は自分が客観的にどう見られているか
実感がわいていなかった。
風変わりに見られることが、何か怖かったし
そう見られたくなかった。
今日ガラスに映った自分は
いかにも風変わりな人だった。
でも、なんかすっきりした。
風変わりに見られないようにびくびくするよりも
風変わりに見られた後で人とどう接していくかを
考える方が重要なのかもしれないな、と思った。
4月で今の会社を辞めるのだが
2009年が始まって、3月も終わりに近づき
あれ、もう4月!?っていう感じだ。
2009年、もう3分の1が終わってしまうではないか…。
最近、2009年に入ってからの3ヶ月間無駄にしたな、と強く思う。
いや、多分、実際は無駄ではないのだと思う。
働いていたおかげで収入もある訳だし
家にも住める訳だし。
辞める話し合いも難航したし、
職場の周りの人間関係の今までの膿も
いろいろ重なってでる様な感じになって
なんだか大変だったけれど
会社の反応や、周囲の反応や
自分がどういうふうに見られていたかが
わかって良かった…よかったじゃないか!
と思うんだけれど。
不本意な場所に長くいてはいけないな
と何か思った次第でございます。
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