それにしても…
9月、暑すぎだろ!
7月に妊娠が分かり、今週末に5ヶ月に入ります。
つわりもだいぶ落ち着いてきて、
少しづつ動けるようになってきました。
5月末に因縁の私のじいちゃんが亡くなった矢先の
妊娠。じいちゃん苦手だったけど
今回ばっかりは、じいちゃんが授けてくれたかなと
なんとなく手を合わせています。
順調にいくといいなぁと思いつつ、
いろんなことにとてもびびっていて
不安定だったり、落ち着いたりという日々です。
このまま無事いくのか?とか、
私が母親ぁ!?やっていけるのか…?とか
もし無事に産まれたらママ友とかと
うまくやれる自信…まるでない!とか。
人と接するのが苦手だけど、結局こんな悩み事ばっかり抱えて
私には、一人では子どもを育てられないなと
なんだかわかった今日この頃。
私にできるのは、そういう不安な自分を自分で
排除しないように心がけること、くらいのもんだ…。
今日の自分への応援ソング…SMAP「しようよ」
今日は、昨日の雨が上がっていい天気だ。
気持ちの良い日です。
今日はネットをみていて、2ついいなぁと思う
記事や動画があったので、紹介したいと思った。
1つ目。ほぼ日刊イトイ新聞、吉本隆明「ほんとうの考え」より
「公にどんなことがあろうと、なんだろうと、
自分にとっていちばん大切だと
思えることをやる、それだけです」
最近、夢見が悪いなぁと思っていた。
(殺されそうになったりする夢とか、後味が悪い夢)
自分が、毎日原発のことを追っているのも、
前もここに書いたけれど、やっぱり怖いせいなんだというのを
身体レベルで実感したというか。
そのときにこの文章を読んで、そうか…と思う。
自分を覆っていた不安が1枚はがれたみたいな感覚。
だからといって、原発問題のことを全然考えないということは
できないと思うけれど、この文章に触れてよかったと思った。
2つ目は、京都大学の小出助教のインタビュー動画。
原発推進派が今まで圧倒的に多数を占める中で
原発は危険だと反対し続けてきた「異端」だと呼ばれる科学者。
原発事故が起こってからずっと彼の発言を追ってきたけれど
みればみるほど、この人の信念が伝わってきて泣けてくる。
説明も上手で、私にも分かりやすい。すごい人だなぁ。
この動画の中で、私が一番はっとしたのは、
原発の問題が、差別の問題とつながっているという言葉だった。
確かに、原発での労働問題が、低所得者やホームレスの
労働問題とつながっているのだと感じていた。
それに加えて、原発が安全というなら都会にたてれば良いのに
都会にたててはいけないことになっており、
それを田舎、過疎地に押し付けているということが
動画で言われていた。
他の動画で、福島第一原発から半径20キロ圏内に潜入した動画があり
ひたすら車で街を走る動画なのだけれど、その風景は
自分の地元のようでもあり、地方ならどこででも見かける
普通の風景だった。ただ、違うのはそこの近くには
原子力発電所が建っているということ。
なんだか悔しかった。
小出さんが原子力の専門家でありながら、原発をやめさせようと
いう方向に進んだ理由が、その差別の問題にあるということを
この動画で言っていて、そうだったんだ、と思った。
この人の姿勢は、自分の行きたい方向への道しるべと
なっているような気がした。
社会構造について、何で今、こんなに世の中が
生きづらくなってしまっているのかについて
原発について、なんで今こんなことになっているのかについて
今まで全く無頓着、何も知らなかったし、
知ろうともしてこなかった。
原発事故があってから、原発自体について、
原発のしくみや、なぜ導入されているのか
どうしてこのように危険があるにも関わらず、
原発が推進されてきたのか少しずつ知る機会が出てきた。
知れば知るほど、自分は今まで何をのうのうと
生きていたのかと思わされる。
社会構造や原発の関係がとても深い
ということも、何も知らなかった。
今まで、選挙の時でも、政党のことなんて
イメージでしか見てなかった。
共産党は言っていることは分かるけど、
なんか偏っているような気がするし
自由がなくなってしまうような気がする…とか
自民党とかはみんなが入れているし、
民主主義っぽいし、自由な感じがして
今までの政権も取っていたし安心…でも、
最近自民はなんか駄目だから民主党の方がいいのかな?
とかそういう『イメージ』。
でも、最近本を読んでいると、
自民党は偏っていないと思っていたけれど
けっこう偏っているんだなということがわかった。
自民党が目指していた「小さな政府」って『国家権力が強力になり、
福祉や社会保障は切り捨て、端的に警察、軍事が強くなっていく』
(『生きさせろ!』雨宮処凛著より)ということだとは思ってなかった。
「権力が小さくなるいいものみたいに思って支持しちゃう人は、
だから罠にはまっています」って私のことだ。
平たく言うと「経済競争に弱者は必要ない」、切り捨てる
ということだと。ショックだった。
それでなんか生きづらいのだな、と納得、した…。
何も知らずにそっち方面を支持していた自分って一体…。
無知って怖いものなんだな。
弱者にとっても、そうでない人たちにとってもよい政治の
やり方ってできないものなのかな。
それにしても、自分のあまりのノータッチさ加減は
何だったんだろうと思う。
なにも考えずに、その恩恵を受けていた。
恥ずかしい、とても恥ずかしくなった。
政府が原発を推進してきたのを、何も考えていない私は、
加担している一人だったんだ。
それでこんな事故になっていて…。もう…。アホだ自分。
とりあえず、静岡の浜岡原発は停止してほしい。
震源地と想定される場所に原発があるなんて、信じられない。
と今さら言っている自分も愚かで恥ずかしい。
地図で見ると浜岡原発から自分の地元も結構近い距離なのだった。
中部地区に被害が…と考えると冷静さを失ってしまう。
何も知らず、誰かの意見に自分の考えを合わせていれば
考えなくて済むからとても楽だった。
自分の考えを説明するということから逃げてきた。
そんな私がいざ、自分が現状に違和感を持った時に、
それを人に説明する術がない。
今、まさにその逃げてきたつけが私に回ってきているのだなと感じる。
くやしい。くやしい。
今、私がしなければならないことは…。
…でも、集中して考えすぎても疲れてしまうけど。
気がつくと、毎日原発問題のニュースを
食い入るようにネットで見ている自分がいた。
政府や専門家の言っていること、いろんなことが素直に受け取れない。
素直に受け取らなくても、疑ってももちろんいいと思うし
個人的には今ひとつ信用できないところもあるんだけれど、
自分のあまりの集中っぷりはなんかおかしいなと
自分でも思ったので、私がどう映っているか旦那に聞いてみた。
(私の)心配性は今に始まったことじゃないけど
すごい不安なんだなと見ていて思う、と言っていて
あぁ、そうかぁと思った。
すごく怖かったんだ、というか怖いんだと
初めて分かった。
それを忘れるために集中しているのかと思った。
楽しむことに対してなにか罪悪感を持っていることにも
きっかけがなかったら気付かなかった。
いつのまに、そういう風になっていたのかも
無自覚すぎてよくわからなかった。
4月に入って、暖かめの日が続く。
家のカメも甲羅を日干ししてのんびり。
電力消費量も減っているせいか、
計画停電もここ1週間くらい行われていない。
自分は特にずぼらだから余計だけれど
日頃いかに電力、エネルギーを
無駄に使っているかを最近感じる。
普段のちょっとした掃除は、ほうきとちりとりで
いいんでないか?と思ったり。
現代の生活はすごく電化製品にたよっているのだなぁと
しみじみ思う。
そろそろ桜が咲くのかな、やっぱり楽しみ。
月並みな言い方だけど、春が被災地の人たちに
少しでも笑顔をもたらしてくれたらと思う。
極端な言い方かもしれないけど
パニックは起こしてもいいと思う。
不安だから物を買い占めることだってあるだろう。
それがその人自身を守っていることだってあると思う。
確かにパニック行動で、事故とかを起こしてしまうと
大変だから、それを統制する役割の人は
店とかでは必要だとは思うし、
震災後すぐは買いだめで物がなくなり、
欲しい物が買えなかったということもあった。
(その時によく根拠として言われていた、
買い占めると被災地に物が行かなくなるから
という理屈もよくわからなかったけれど。)
しかし、自分たちの命のことを一番に考えることの
何が悪いのだろうか。
それは当たり前のことだと思う。
そういうのを見て人のみにくい部分を見たと
いう人もいるけど、
本来動物ってそういうものだろうと私は思う。
地震が起きた当初は世界中の人々が日本に同情した。日本人が秩序だって行動することに尊敬の念を持った。こういう状況が自国で起きたならば、食料の強奪が起きたであろうと考えているからだ。少ない食料を分け合いながら必死に生きながらえようとする日本人の態度に、世界の人々は感動し涙を流した。 だが時間が経つにつれて微妙な変化が出てきた。危険が迫る状況の中でも声を上げずに押し黙っている日本人を見て、尊敬は別の驚きに変わった。東電に自分の命を預けているのか。これが自分の運命と受け入れるのか。情報公開を渋る東電が世界を恐怖の底に陥れている ダイヤモンドオンラインより抜粋。
この記事を読んで、前働いていた会社組織を思い出した。
秩序をもって行動するのは、得意なんだけど
これはどうなんだ?という状況の中でも周りのことが気になって
自分の気持ちが言い出せない空気。
反論すると会社での立場が悪くなり、
左遷されてしまうような雰囲気。
これが日本の縮図なのだろうか。
震災後の空気も、似たようなものを感じて苦しかった。
たくさんのブログや日記を見ていて正直、
地震の中でパニックを起こさず、冷静でいろ!
と必要以上にいう人の叫びもパニックのように見えた。
ベクトルが逆方向に行っているだけで。
それでパニックに陥っている人たちを糾弾するのは
自分のパニック状態を否定することと同じことで、
余計傷つくのではないか。
要は有事の際の、パニックは当たり前の心持ちだと思うので
パニックを起こすということを責めてくれるな、ということが
いいたいんだと思う。
昔から数学が苦手だった。
中学の時も高校の時も、
あまりの分からなさに授業中泣いたことがあり
高校生の時はテストで2回0点を取った程苦手だ。
計算問題は特に嫌いじゃないのだけれど
証明問題とか、高校の時は因数分解以外
全然分からなかった。
前にうちの旦那さんに、数学が苦手だと
いう思いをぶちまけた時、
旦那さん曰く、数学っていうのは一定の規則があって
その規則を前提にして、答えを導いていく所が
面白い所だと思うんだけど…。
と言っていた。
私は、それを聞いて、あぁ、私は数学の
一定の規則の中でやっていく所
がつまらないんだな、と思った。
しかし、自分が過去仕事をしていたとき、
論理的に話す能力が欠けていたことで、
何回も上司にこっぴどく叱られた。
一定の条件の中で、根拠をもって説明することが
仕事をする上で、コミュニケーションをとる上で
とても重要なことなのだと思い知った。
当時、自分の苦手とする「論理」がなかなかできなくて
(今もできないけど)仕事に行くことがつらかったとき
旦那さんにそのことを言ったら
論理は仕事の上では大切だと思うけれど
論理の前提が間違っていたら全く意味がない
というようなことを言っていて、あぁと思った。
今、なんでこんなことを思い出したかというと
原発問題で水や、野菜とかについてしまった
放射性物質についての政府や、専門家らの
「冷静な」見解をどうも不安に感じてしまうからなのだった。
ブログ、日記などを読んでいると、数値的には
全く問題ないんだから…と、その数値を計算して
挙げてくれている人たちもいる。全く論理的。
そうか…とは思うものの、じゃあ大丈夫!安心だね!
とは思えない。
なんでかなぁ?と思ったのだけれど
そこの「論理の前提」がぐらついているから
なんじゃないのかなと思った。
高線量を受けた人たちのデータはあるけれど
低線量を受け続けた人たちのデータというのは
ほぼ存在しないらしい。
その状態で、問題ありません、と言われても
その論理は、信用に欠けるなぁと思うのだった。
でも、とりあえず、ここにいる以上、実際に
水とか農作物から通常以上の放射性物質が
検出されている訳だから、全くふれないわけにはいかない。
でも、覚悟を持って飲み食いするぞ、とも思えない。
計画停電中、信号が消えている所に遭遇すると
前より、みんなが周りを見ている気がする。
危ないから当たり前なんだけど。
車はもちろん速度を落としているし。
こないだ埼玉で歩行していて道路を横断する時に
初めて車に道を譲ってもらって感動したぞ…。
今までパトカーにしか
道を譲ってもらったことなかった。
本当にこういう停電があると
今まで自分たちが信号に頼りすぎていて、周りをあんまり
気にしていなかったことに気付く。
今年1月に受けた試験に合格した。
去年の10月くらいから、今回とった資格での
就職先を探すべく活動しているのだけれど
書類で落ちたり、面接で落ちたり。
まぁ要は就職先が決まっていないということだ。
大学生の時にしていた就職活動や、
その後の度重なる転職活動でもそうだったのだけれど
私は、面接を受けた後、今まで考えていた進む方向を
180度変えてしまうことがあった。
その業界、会社への熱意は何だったのだろう…
と思うのだけれど、
そういう時は面接官の「問い」が自分の全くの死角から
繰り広げられるときだった。
そういうことが何度かあるということは
私の準備不足もあるし、考えが甘いのだろう。
今回の活動でも、面接で受けた質問は、面接官が専門職で
さすがに人を見てきたプロだけあって切れ味鋭い視点を感じた。
「あなたはこれまでの人間関係をどのように処理してきましたか?」
言葉に詰まった。
「なぜ障害者福祉を希望しているのですか?」
根本的な質問にもうまく答えられなかった。
だって、これまでの人間関係は処理できていないし、逃げて来たし。
障害者福祉に関してもやる気があるのなら、
きっとボランティアはしていたと思うのだけれど、
一回も障害者関係でのボランティアをしたことがない。
私の希望している就職先は、ほとんどが同じ形態の施設なので
「障害者福祉」というのは共通してくる。
どうして「障害者福祉」を希望しているのか、
考えても考えても私にはうわっすべりな理由しか思いつかず、
困ってしまった。
せっかくとった資格。この資格で就職することが
わたしのここ7年間の目標だったが
暗雲がたちこめてきてしまった。
まさか、また同じことの繰り返しなのでは…。
参ってしまった。
とにかく「やりたいこと」を求めて
右往左往し続けて来た、この13年間。
教員だの、酪農だの、販売員だの、保育士だの、デザインだの、
手作り腕時計作りだの、人事だの、事務だの、今回の福祉系だの…。
しまいには起業しかない!と迷走していた。
これが最後だと決心してここまで取り組んで来たのに。
ついにどん詰まりになってしまった。
仕事どうしよう…と思っている時に大地震が来た。
今まで仕事について考えて来たことが、
なんだかどうでも良くなってしまった。
無力で、悩んでいて、不安で、気が小さくて、
ぼーっとしていて、口べたで。
怠け者で、優柔不断で、自己中心的で、
わがまま、周りが見えてなくて。
よく気のつく人たちにはイライラされてきた。
今までの転職もうまく行かない。
家でそんなどうしようもない自分のことを思った。
私は仕事をする時に、少しでも、活躍している
かっこいい人たちに、あこがれの人たちに
近づきたくて、理想の自分になりたくて、自分に役割を課した。
仕事の役割に自己実現をかけていた。
そうしたら、理想の自分になれるんじゃないかと思っていた。
けれど、なれなかったんだなぁ…。
そう実感したら自分を形成していたはりぼてが
ばらばらと崩れるみたいな感じがした。
最後に残ったわたしのほんとうにしたいことは…
きっと、アホな自分でい続けることなんじゃないかと
思った。
大きな地震がきてから、11日目。
自分の中で、地震前とは何かが
変わってしまったような気がする。
自分の感じている世界の色が変わったというか。
ちょうど就職活動中なのだけれど
今まで自分が考えていたことに対して
あんまり熱を感じなくなってしまったというか。
福島原発へ放水した消防隊員を英雄視する声に違和感がある。
確かに、私もありがたいと思っている。とても感謝している。
あの人たちが放水し続けてくれなければ、
自分たちはどうなっているかわからない。
危険を顧みず、勇敢に向かっていく姿。
私にはとてもできそうにない。
でも、命をかけて向かっていく姿をほめたたえることが
どうしても私には違和感がある。
なんか戦時中の兵士への激励の言葉みたいだ。
国のために命をかけることはすばらしいことだ、と。
穿った見方かもしれないが、ほめたたえる中に、
ほめたたえる側のなにか後ろめたさやごまかしを感じてしまう。
自分は安全な所にいて、被害は被りたくないけれど
原発への放水をしなければ、
日本中、いや世界が危ない目にあってしまうから、
誰かが犠牲にならないとというふうに聞こえてしまう。
それをごまかすためにほめたたえるように見えてしまう。
私もちらっとそう思ったから、余計にそれが鼻につくのかもしれない。
会見での隊長の「安全が確保されていなかったら動かない」という
実感のこもった、ゆるぎない言葉にどきっとして
私は冷や水をかけられたような気がした。
この人たちだって、怖くない訳はない。
被害を被りたくないと思っている自分と地続きなんだ。
その感覚が、切り離されていた自分に気付いて怖くなった。
茨城にいる友達が、地元の名古屋に避難した
というのを聞いて、ホッとした。
心配の一つが安心に変わったので
少し心が落ち着いた。
その人の人生なので、最終的にどのように行動するかは
その人の判断を尊重したいけれど
自分たちの身を守る手段を友達が選択したことは
私にとっては嬉しいことだった。
ありがとう。
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